「8時だヨ!出発進行」

近所の学校のフェンスに、おそらく学校が植えたものと思うが、間もなく10月になろうとしているときに、へちまの実ができ始めていた。
へちまに限らず、キュウリやゴーヤなどのうり類は、ツルを延ばして生い茂り、盛夏の時期には天然のカーテンになる。
しかし太陽が傾いてきて、気温が下がってくるこの時期には、ある意味無意味にも思える。
だが、子供たちの中には、植物の生命力の強さや、逆に命の尊さを学ぶかも知れない。
その意味では「糸瓜の皮とも思わず」とは、まったく問題にならないという意味だが、意味のない生命はない。
戦時中、特に猛獣が空襲などで暴れまわる危険から、殺されてしまった動物たちのことを忘れてはならないだろう。
驚いたことに、その当時は一般家庭の飼い犬までが殺処分の対象になったとのことである。
当時の少年少女たちは、いかに傷ついたことだろう。

昨今では、弁護士や大学教授、医師などがテレビのバラエティ番組に出ることは、特に珍しいことではなくなった。
おそらくかなりプライド高い人たちだと思うのだが、最近では、東大や京大出身の芸人さんなどもいて、職業の垣根が低くなっている気がする。


東進ハイスクール「いつやるか?今でしょ!」CM

最近あちこちの番組で見かけるのは、何といっても、「いつやるか?今でしょう。」林修先生であろう。
先日はテレビの通販番組に出演しているのを見たときはさすがに驚いた。
東進ハイスクールの現代文講師であるが、何とナベプロ所属の芸能人でもある。
名古屋に生まれ、現在も名古屋に在住し、「本を読むこと」と「食べること」の毎日で、東大入学の頃には体重100キロを超えていたという。
長期信用金庫に入社するも、半年で退社。
その後、様々な商売に手を出すもうまくいかず、借金は1800万円に達したが、予備校講師に転身した。
私には、その借金の額はとても想像できないが、様々な商売を失敗する中で、きっと何かをつかんだのだろう。
かなり激しい試練であったが、その体験は、今に生かされている。
今の親しみやすいキャラクターの中には、大きな苦労が隠されているんだなあ、と思う。


なつかしい 8時だヨ! 全員集合 オープニング

皆さまの多くは、8時だヨ!全員集合すらかなり過去の話になっていることだろう。
ザ・ドリフターズ主演のTBS系列の看板番組であった。
1969年10月4日から1985年9月28日にかけて、毎土曜日に放送されていた。
ところが、1971年4月3日から同年9月25日の半年間、この番組は一旦休止されている。
ザ・ドリフターズが、日本テレビ系の『日曜日だョ!ドリフターズ!!』に出演することと


この際母ちゃんと別れよう

なり、半年間の空白を埋めるため、先輩格である、クレイジーキャッツ「8時だヨ!出発進行」という番組を行っていた。
シャボン玉ホリデー』で一躍渡辺プロをお茶の間に広めた日本テレビに対する恩返しとして、渡辺プロが半年限定で日本テレビに渡した、という説もある。
番組を作るスタッフは、全員が「全員集合」のスタッフが横滑りしたという。
この番組が始まった頃、私はまだ10才に過ぎず、残念ながらあまり面白いとは思わなかった。
番組内容もドリフの焼きまわしのようだった。
でも番組プロデューサーは「映画やテレビドラマの主役ばかりをやっていた植木等が、この番組のために汗まみれ、泥まみれになって仕事をしてくれたことに今でも頭が下がる思いがする」と述懐している。
YOUTUBEなどにもあまり資料がなく、ハナ肇が個人的にビデオを撮っていたものがある程度なのだそうである。
今のように、DVDやブルーレイレコーダーなどなく、ビデオレコーダーも高価で一般家庭に広まっているような状況ではなかった。
おそらく、クレイジーキャッツにとっても試練の時期だったのかもしれない。
ザ・ドリフターズコント55号など、新進気鋭のお笑いブームが津波のように押し寄せ、「シャボン玉ホリデー」のような、あまり下ネタに走らず上質な笑いを提供してきたクレイジーキャッツとは、時代の合わなくなったのかも知れない。
でも彼らは本物だった。
1990年、クレイジーキャッツのヒット曲をオムニバス形式でつなげた「スーダラ伝説」が大ヒットし、再びブームとなった。


クレージーキャッツ メドレー

数々の特番が放送されたり、植木等さんは自身の冠番組である植木等デラックス」も放送」された。
植木等さんも名古屋市生まれである。