日本海3号

日本海3号
夜行列車は衰退の一途を辿っている。夜行列車に代わる交通網が整備され、例えば新大阪を朝一番の新幹線のぞみ(6時ちょうど発)に乗れば8時半には東京駅に着く。値段を追及するなら高速バスもある。特に夜行列車を使う必要が激減しているのだ。寝台車を使う場合にはさらに寝台料金がかかる。一度は乗ってみたいなと思っていたカシオペア」は日程限定となり、「トワイライトエキスプレス」はその運行を終え、何度か利


【寝台列車アナウンス】寝台急行銀河 大阪~東京

用した「急行銀河」や「急行きたぐに」も惜しまれつつ廃止となった。時間に追われ、スローフードならぬスローツアーはもはや時代遅れということなのか。でも一方で「サンライズ瀬戸・出雲」は健在だ。JR九州の、趣は異なるが「ななつ星」が輝きを見せている。青春18きっぷを使う方もシーズンにはよく見かけるので、そのチョイスは日頃の慌ただしさの反作用でもあるのだろうか。


日本海3号|余目→砂越 おはよう放送付き♪ 2008年3月15日

以前大阪からは寝台特急日本海3号」青森行きという列車が出ていた。仕事帰りにたまに駅で見かけると、すぐにでも飛び乗りたいと思ったものである。さらにその少し前の時間には「日本海1号」函館行きもあった。
森昌子さんの名曲に「哀しみ本線日本海」という歌がある。あまり演歌を聴かない私だ


哀しみ本線日本海 森昌子

がこの曲は大好きである。前奏や間奏で流れる「チャチャチャン チャチャチャン チャチャチャン チャチャチャン・・・」とリズムを刻むような演奏が秀逸であり、一気に曲に吸い込まれていくような気がする。少し憂いを帯びた森昌子さんの歌声は、私の子供時代にテレビで見ていたショートヘアでほとんど振り付けもなくマイクを握りしめて「せんせい」と歌う姿を思い出す。桜田淳子さん・山口百恵さんとともに「中三ト


森 昌子/せんせい

リオ」と呼ばれた。今考えてみると、中学三年生の頃からトップスターとして仕事をこなしていたんだなあと感心しきりである。自分の中学生の頃はどうだっただろうかと考えさせられる。その歌に影響を受けたからというわけではないが、北国に行くならあえて冬がいいのではないかと考え、真冬の「日本海3号」に乗ることにした。まだ20代の頃、仕事で秋田・山形を夏に訪れたことがある。東北だから涼しいんだろうと考えていたが、到着してみるとこれがかなり暑い。さすが米どころだなという印象が残っている。
ちょうど秋田駅に到着する頃に目が覚めた。外は一面の雪景色である。関西でも滋賀県北部などはかなりの積雪があるが、さすがは本場という感じである。青森到着はお昼前である。そのホームに降り立ったときに驚いた。ホームにこれでもかというくらいの雪が積もっていた。ホームにこれだけの雪が積もっているのを見たのは初めてである。街を歩いているとつららが巨大に成長している。歩道もすごい積雪だが道路の一部は温水が出て、雪を溶かしている。雪景色にはウクレレスチールギターよりも津軽三味線


津軽三味線組曲 by 高橋竹山

音色が空気感を醸し出す。その日は浅虫温泉に宿泊した。御多分に漏れず、東北の鉄道網も北海道新幹線の開業に伴い大きく様変わりした。東北本線青森県部分が「青い森鉄道」となった。  私が訪れたのはまだJR東北本線の頃である。翌日浅虫温泉駅から津軽半島の最北端である竜飛岬の最寄り駅である「三厩(みんまや)」駅まで出かけた。北海道まで見渡せる絶景に感動したまではよかったが、帰りの時間を間違えて、青森駅まで帰ることができなくなってしまい予約していた宿に泊まることができなくなった。駅員さんに事情を説明したら、JRの保養施設でよければ、と宿泊所を紹介してもらった。
翌日は楽しみにしていた八甲田ロープウェイに出掛けた。青森駅からバスで向かった。道中の積雪があまりにもすごく、これで本当にロープウェイは動いているのか心配して


樹氷・八甲田ロープウェイ

いたが、この日は運行していた。青森には米軍三沢基地もあり、外人のスキーウェアを来た方も多かった。ロープウェイのガラス窓は外が見えないほどに凍り付き、スクレイパーがぶら下げてあったが、削っても削ってもすぐに白くなってしまい、あまり景色を見ることはできなかった。さらに、山頂駅に着いて備え付けの温度計を見ると何とマイナス20度を指していた。でも東北は食べ物が美味しく、人もどこかのんびりしていてまた来たいなと思う旅だった。